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今月のC-Class

加東 和
画家

1959年生まれ 1983年法政大学社会学部卒業。  詳しいプロフィールはこちら

加東和の世界成福ブログ「光のwebサイト」著書「誰でもつかいきれない宝の山を持って生まれてきた」竹書房 刊
ヒトは表現することに 喜びを感じる生き物だと思います。
 伊勢神宮 内宮鎮座2000年記念イベント(1996年)でのライブペインティングを皮切りに、最近では東京・銀座松屋「遊びのギャラリー」、東京国際フォーラム 「フォーラム・ア−ト・ショップ」などで作品展・ライブペインティングを開催。

加東 和のマネジメントカフェテリア
  1. vol.1 作品
  2. vol.2 価値
  3. vol.3 モチベーション
  4. vol.4 プロフェッショナルとは

加東先生の考えるプロについてお聞かせいただけますか?


画家の場合、何をもってプロと言うかは難しいんですけど
例えば、ゴッホはプロだったと思います?


プロ・・・ではないんですか?


ゴッホは生きている間は絵は全く売れなかった。
資本主義の「お金を稼いで、それで生活するのがプロだ」と定義で言うと ゴッホはプロじゃないですよね。
だけど、その定義だと狭すぎると思いますよ。
僕の一つの仮説として、ゴッホは自分の描いた絵を、意識の中で囲い込んで
自分と一体化していたがために、絵を手放すことができなかったんだと思います。
一方、ピカソはそれができた。
芸術の世界は、自分の作品を囲い込んで「自分の一部だから他人に評価させないみたい」な方に行きやすいんだけど、共有してこそ初めて世の中と繋がることができるんです。


芸術家にとって、作品はまさに自分の分身のようなものなのですね。


絵を描いていると自分と出会ってしまう瞬間があるんです。
自分の描いた絵って、みんな嫌なんですよ。
なんだか生々しくて、人の描いた絵のようには見えない。
これが自分なのかというのも認めたくない。
例えるなら排泄物のようなものです。
自分の一部なんだけど見たくない。

なるほど。録音した自分の声を聞いた時なども、むず痒くなったりしますよね。


それと一緒です。 自分のものなんだけど受け入れられない。

たとえば、「上り龍の絵を描いて下さい。」と言って、 下から上に上がる線を好きなように描かせると、 何人かの人は「こんな変な線は嫌だ」とか言って、拒絶反応を示すんです。
自分の描いたものって、自分の見たくない何かだったりするんですよ。
潜在的に見たくない。
でも、それを見ないと成長しないんです。
自分に対して客観的な目を持たないと成長しないですから。
いつも自分の中で「俺ってダメだ」とか
「俺ってスゴイ」って言っていても「学び」がないでしょう。

自分を客観的に見られるようになって 初めて「プロ」だと言える訳ですね。

今週のプロフェッショナルシンキングQUIZ 回答

Q:
5>0,2>5,0>2
これは何?

A:
じゃんけん。
広げた指の数から0=ぐぅ 2=ちょき 5=ぱぁと考えれば、強弱関係は明白ですよね。